KEN.XI FORTRESSの最大の理解者

2022年8月25日の早朝、父が旅立ちました。

60歳。この人生が長いか短いか、僕にはわかりません。

ですが、父は穏やかな最期を迎えることができ、客観的に見ても幸せで密度の濃い人生を生きていたと思います。

昨日、呼吸が止まってから、まだそれほど時間は経っていません。

それでも父への想い、父との思い出が色濃く残っている今この瞬間、ここに言葉を綴ります。

理解者

父はとにかく僕の最大の理解者でした。

僕が何かを成し遂げたときも、逆に失敗した時も、とにかく僕を肯定してくれる人でした。

音楽の夢を全力で応援してくれましたし、支援も惜しむことなくしてくれました。

とにかく僕や弟が好きな道に進めるよう、僕が子供の頃から汗水垂らして働き続けていました。

ちなみに息子の僕がいうのもなんですが、父はめちゃめちゃスペックが高くて頭がいい。

某有名大、某有名企業に勤め、一度の転勤もなく。おまけに高身長。

おそらくちょっと前の時代なら合コンに参加しようものならこれだけで相当モテたんじゃないかな(笑)

でも僕が父をリスペクトしていたのはそこではありません。(すげーなとは思ってたけど)

なぜなら父はいわゆるエリートの道を進んできたにもかかわらず

僕にそのような生き方を押し付けたことが一度もないからです。

普通なら同じようにエリートの道を進ませようとするパターンも少なくないはずです。

ましてや音楽の道に進むなど、反対する親の方が多いはず。でも父は違いました。

とにかく自分のやりたいことを納得するまでやれ。

これが父が僕に言ってくれた言葉です。

父が僕に音楽をやらせてくれたおかげで、僕にもたくさんの出会いがあり、たくさんのドラマが生まれ

なにより自分の人生が仮に明日終わろうと後悔しないと言える人生を生きることができているのです。

急に訪れたカウントダウン

2020年の12月、僕にとって人生最大のショックな出来事が起こります。

父の肺腺がんの告知でした。

2019年までは健康診断に一度もひっかかったことのない父の肺に影が見つかり

ステージ4期。手術不能のいわゆる末期癌だったのです。

父の年齢はその当時58歳。若い方は癌になると進行が早いとは聞いていましたが

まさかこれほどとは思いませんでした。

「おはよう」「いってきます」「いってらっしゃい」
「ただいま」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみ」

それまでは当たり前のように交わされた言葉でも、ここからはもう当たり前ではない。

ぼんやりと死というものと向き合い始め、その日から父の戦いが始まりました。

抗癌剤、放射線、副作用、筋力がなくなり疲労骨折。

わりと元気に過ごしている時間も多かったですが、後半は父はとにかく戦っていた。

そんな父に僕がしてあげられることはひとつだけでした。

とにかく後悔のない人生にすること。

治療法やこれからの仕事のペース、遊びたい場所で遊び、食べたいものを食べさせる。

とにかく父がどうしたいのか。それを一番優先させて欲しいと僕は言いました。

僕がもし父ならそれを望んだと思うから。

なにより僕自身が父に好きなようにさせてもらったから。

最終的に父は病院で過ごして抗がん剤を続けるという選択はせず

自宅で痛みをできるだけ和らげるいわゆる緩和ケアをしながら家族と過ごす選択をしました。

延命に関して何が賢い選択なのか僕にはわかりませんが、これだけは言えます。

父が幸せならそれがベストな選択だったと。

最期の日

2022年の5月ごろから、父の容体は悪化を辿り、一時的な入院もあったり

食事も満足に取れなくなっていき壮絶な戦いの時間が多くなりました。

でも側から見ると、テンション的にはまだまだ生きそうな感じでしたし

亡くなる2週間前まで、車も運転して

本人的にも遊びの時間もそれなりに作っていました。

ちょうどその頃、熱中症になりかけた僕に、

今日は体調大丈夫か?とLINEや出先から帰るたびに言ってました。

僕の事より、自分の体の心配だけしていればいいのに…。

とにかく余裕があり切羽詰ってる感じではなかったです。

今にして思えば、僕を少しでも安心させようとそう振る舞っていたのかな。

現実は残酷なもので、8月16日からついに寝たきり状態。

水もまともに飲むこともできず、8月23日あたりには一時的に回復しましたが

25日の早朝、再度悪化し、ついに力尽きました。

死の間際、僕はずっと父の手を握り

「痛い、痛い」と苦しむ父に「俺らがここにいるよ」と必死に励まし続けました。

少しはそれが効いたのか、呼吸が止まったその瞬間、父は穏やかな顔でした。

後悔

僕は父の人生の最期を後悔のないようにしてあげられたのか。僕も父にしたことに後悔はなかったか。

これは間違いなくYESです。

もし父が病院で最期の時を迎えていたら…。

このご時世ですし僕らは病室に入ることもできず、死後に顔を見るだけになってしまっていたと思います。

そんな最期は僕も父も望んではいなかった。

父は最期まで父らしく生き、僕も最期まで父に尽くすことができた。

僕は医者ではないし、看護知識などありません。

でも父にとって僕や家族との時間が最高の治療だったと、胸を張って言えます。

父がいなくなった空間に慣れるまではまだ時間はかかりそうですが、

ゆっくりと僕もまた立ち上がり歩き始めます。

いうまでもなく音楽を休止させるつもりもありません。

父がやらせてくれた音楽ですから。

不器用ながらも、父に恥じないように音楽の道でこれからも生きていきます。

最後に、俺の大好きな父ちゃんへ。

今までほんまにありがとう。

音楽をやらせてくれてありがとう。

昔も今もこれからも俺の父ちゃんはひとりしかいない。

だいぶ先になると思うけど、いつか俺がそっちに行ったとき、また一緒に暮らそうな。

それまで少しだけ、おやすみ。

健一より

この記事を書いた人

KEN.XI FORTRESS

幻想的サウンドクリエイター/ギタリスト。
関西を中心にライブ活動を行い、
「宇宙」をイメージしたアトラクションのようなステージが特徴である。
Apple Musicにて楽曲も多数配信中。